福岡高等裁判所 昭和43年(う)271号 判決 1968年9月12日
本籍
福岡県大川市大字上白垣二二七番地の一
住居
福岡市白金一丁目四街区二号
バー経営
古賀善人
大正八年一月九日生
右の者に対する旧所得税法違反被告事件について、昭和四三年三月二八日福岡地方裁判所が言渡した判決に対し被告人から控訴の申立があつたので、当裁判所は次のとおり判決する。
主文
本件控訴を棄却する。
理由
弁護人山口定男が陳述した控訴趣意は、記録に編綴の同弁護人提出の控訴趣意書に記載のとおりであるから、これを引用する。
右控訴趣意第一点について。
一、所得の帰属について。
しかし、原判決挙示の証拠によれば、被告人は昭和三四年二月頃事実上の夫婦関係にあつた吉永テイと相談し、同人が経営していたバーテイを売却した金及び同女の手持金を合せた約四〇〇万円と、被告人が銀行から借り入れたほぼ同額の金員をもつて、福岡市東中洲に土地建物を買い求めてバー・エジンバラを開店し、その収益や借入金をもつて同年六月頃から同じく東中洲新橋町に川名工業株式会社から建物を借り受けバー・スコツトランド(但し、当初はバーブロンデと称し、次いでこれを京子、蕾と順次改め昭和三九年六月からスコツトランドとなる)を、昭和三五年三月から同所作人町に他から建物を借り受けてバー・ウインザーを、また昭和三八年一一月から同市東中洲に堺喜三郎から建物と土地の一部を買い受けバー・イングランドを開設営業するに至つたものであるが、各店舗の収益金は閉店後被告人のもとに集められ後記のとおり被告人の手によつて整理され金銭関係はすべて被告人において統轄管理しているばかりでなく資金借入、仕入関係、従業員採用決定など対外的にも被告人がその衝にあたつており、吉永テイは被告人と事実上の夫婦として被告人と同居し主としてバー・エジンバラで営業面に関与しているとはいえ、その実は客の接待、従業員の勤務指導監督の程度であつて、右四店舗の営業全般の統轄は被告人においてされていることが認められる。
もつとも前記買い入れた営業店舗の土地建物の所有名義は被告人と吉永テイの共有となつており、当初営業が吉永テイの経営していたバー・テイが基礎となつたことは明らかであり、また営業に直接接する吉永テイの実績も否定しえられないところであるが、被告人には法律上の妻子がありながらこれとの隔絶は久しく、その生計は被告人の負うところであつても名のみの夫婦であるに対し、吉永テイは中洲界隈では被告人の妻と認められ被告人と夫婦同様の生活環境にあつて、所得税申告においても配偶者控除の対象者として申告がなされており、吉永テイ自信もエジンバラ開店以来被告人が事業の主体となつて経営にあたることを了承したほどであつて、もとより被告人と吉永テイとの間には収益分配について何ら取り決めがなされておらず、わずかに吉永テイは被告人から日用身廻り品、交際費等として月額十四・五万円その他臨時費用を被告人から受け取つていたにすぎないのであり、事業の態様からみてもこれが収益の分配とは到底認められず、いわば被告人の家族同様の経済生活にあつたものであると解することができる。
また、各店舗の営業名義人としてバー・ウインザーが吉永ツギエ、バーイングランドが吉永テイ、バー京子が古賀頼義、バー蕾が村上章子、バースコツトランドもまた同人となつていても、それは所論の如く吉永テイが被告人との共同事業であつたがためとか同女が被告人のみの名義にすることに反対したためではなく、専ら営業許可を受ける方便と租税回避の目的のためであつて、必ずしも経営の主体を表わすものでないことは被告人の検察官に対する昭和四二年三月二日付供述調書並びに大蔵事務官作成の昭和四〇年八月二七日付被告人に対する質問てん末書によつて明らかである。
以上のような営業の実体に徴するときは、本件バー経営における被告人と吉永テイとの法律関係を所論のように組合契約による共同事業と解しえても、法律上収益の分配等組合契約の実効をみないで対外的にも全く被告人個人の事業の態様を示す状況においては、税法上営業上の所得が被告人に帰属すると認めても、必ずしも実質課税の原則にも違反せず、かく解することによつても吉永テイの被告人に対する私法上の権利に何らの消長を来すものではない。
すると、原審が本件営業上の収益が被告人に帰属すると認めたことは相当であるといわざるをえない。
二、所得税逋脱の犯意及び逋脱についての不正行為について。
しかし、原判決挙示の証拠、就中、被告人の検察官に対する供述調書三通、大蔵事務官の古賀頼蔵、猪口昭夫に対する質問てん末書によれば、被告人は各店舗の収益を合算して申告すれば累進課税のため著しく税額が重くなるため、これを免れるべく各店舗ごとに当該営業名義人の名をもつて納税申告をしており、しかも、その収益計算については各店舗における売上を一応各店ごとの仮装名義の銀行普通預金に預け入れ、爾後これから被告人の意思による操作で公表しうる各店名義人たる吉永テイ等(但し、バーウインザーは吉永テイの長女礼子名義)の銀行当座預金口座と、仮装名義の当座預金口座とに振り分けて預金し、これらの預金口座を適宜操作しながら定期預金に振りかえるとか、仕入その他の支払いにあて、また売掛金関係では特に遊興飲食税納付で請求する分と然らざるものとに分けて別々に記帳し、後者の売掛分を裏帳簿として秘匿し、時にはこれを各店舗ごとの納税申告に不均衡を生じたときの操作資金ともしていたことが認められる。このような営業の実態に副わない、ことさらになされた営業収支計算、預金操作二重帳簿作成などは、所得税逋脱の意図をもつて、その手段として税の賦課徴収を著しく困難ならしめる偽計その他の工作が行われたものというべく、旧所得税法(昭和二二年法律第二七号)第六九条第一項にいう詐欺その他不正行為にあたると解することができるのであつて、被告人において右のような所得税逋脱の目的で工作をなすことを認識し認容している以上故意ありというを妨げない。しかも右のように工作をするなど積極的行為によつて原判示のとおりの所得税額を逋脱しているのであるから、被告人の所為が右旧所得税法第六九条第一項に該当することは論をまたない。
三、逋脱税額の決定について。
しかし逋脱所得税額を算出するには、正当な課税標準に対する所得税額から申告所得に対する申告所得税額を控除してなすべきであるから、もともと正当な課税標準の中には申告所得額が包含さるべきものであり、所論のごとく申告所得額を正当な課税標準から控除するときは、正当な所得税額そのものに変動を生じ、ひいては正当な所得税額の決定を誤らせ、逋脱税額にも誤を生ずることとなるのであるから、原審が被告人の申告分を含めて総収益について課税標準を決定しこれに対する正当な所得税額を算出したうえ被告人の申告所得税額をこれから控除して逋脱所得税額を認定したことはもとより正当といわねばならない。
以上説示するとおりであつて、記録を精査しても原判決には所論のごとき事実誤認、理由不備、審理不尽、法令解釈適用の誤は存しない。(原判決が法令の適用において被告人の原判示各所為が旧法人税法(昭和二二年法律第二七号)六九条一項一号と掲記したのは旧所得税法(昭和二二年法律第二七号)六九条一項の誤記と認める)論旨は理由がない。
同控訴趣意第二点について。
しかし、本件記録及び原裁判所において取り調べた証拠に現われている被告人の年齢、境遇、前歴、犯罪の情状及び犯罪後の情況等に鑑みるときは、なお所論の被告人に利益な事情を十分に参酌しても原判決の被告人に対する刑の量定はまことに相当であり、これを不当とする事由を発見することができないので、論旨は理由がない。
そこで刑事訴訟法第三九六条に則り本件控訴を棄却することとする。
よつて主文のとおり判決する。
検察官 野田英男出席
(裁判長裁判官 岡林次郎 裁判官 山本茂 裁判官 生田謙二)
昭和四三年(う)第二七一号
控訴趣意書
被告人 古賀善人
右の者に対する旧所得税法違反被告事件について、左のとおり控訴趣意を提出する。
昭和四三年五月一三日
右弁護人 山口定男
福岡高等裁判所第二刑事部 御中
記
第一、原判決には、事実誤認、理由不備、審理不尽の違法が存し、また法令の解釈、適用に誤があつて、その違法は判決に影響を及ぼすことが明らかである。
一、先ず原判決は、本件四店舗につき、被告人の個人営業と認定して、課税することはなんら実質課税の原則に反するものではないとする。
しかしながら、本件四店舗でのバー営業が被告人および吉永テイの共同事業であつて、それよりあがる収益が折半して両者に帰属することは明らかである。
すなわち、原判決も一部認定するとおり、原判決掲記の各証拠によれば以下の事実が認められる。
被告人と吉永テイは昭和三四年初頃共同でバーを始めようという合意のもとに各自出費を折半して、先ずエジンバラを開業した。
すなわち吉永テイは、それまでに女手一つ、独力で築きあげた唯一の財産である。自己所有の(バー)テイの土地、建物を売却処分し、それと手持金を合せ約四五〇万円を、被告人は銀行よりの借入金約五〇〇万円を夫々出資して、共同でエジンバラの土地、建物を購入し、バー営業に適するように改造をした。この土地、建物が二人の共有であつて、そのように登記されたことは勿論である。
利益分配については、被告人及び吉永テイの間柄からして明示の特約を取きめなく、いずれ適当の時期に分配されるものと暗黙の了解がなされていたのであつて、両者髄時必要に応じて生活費その他の費用をとり、残りは事業の拡張、或いは貯蓄に廻されたのである。
なお預金は事業経営者が通常行うように複数の第三者名義でなされ、被告人のみの名義とはされておらないばかりでなく、被告人がその保管をするとしても単なる保管にとどまり、被告人のみでこれを独占する権限はなく、吉永テイもまた自由に処分し得る立場にあつて、同女の要求があれば被告人もこれに従はざるを得ない関係にあつたのである。預金が二人の共有であることはいうまでもない。
その実体が各自出資して共同の事業を営む民法上の典型的な組合契約で、共同経営にかかる営業であることは明白である。
その後の二人の協力、努力によつて営業は順調に発展し、ブロンテ(その後京子、つぼみ、スコツトランドと改称された)、ウインザー、イングランドの各店舗が拡張、開設されることとなつた。
もともとこれら店舗拡張の資金は被告人及び吉永テイの共同事業の収益によつてまかなわれたのであつてこれが二人の共有とされたことはいうまでもない。
このうちブロンテ、ウインザーは借家であるが、イングランドの土地、建物は一階及びビル敷地の三分の一が二人の共有、二、三、四階部分が吉永テイの単独所有名義とされておる。
経営の実体についていえば、四店舗すべて被告人及び吉永テイが共同、協力して経営の実務にあたつており、たゞ男女の相違からしてその担当部分を異にしておるにすぎない。
被告人は金融、経理に関する業務を、吉永テイはバー営業の実際面、従業員の指導、教育、監督等を夫々実行し、従業員の採否、給料の決定は両者話合の上で決定されており、吉永テイ自身共同経営者として行為していたことは同人の供述書に明らかなとおりであり、被告人もまた自分丈で経営を独占する意図は二人の間柄、開業の経緯からしても毛頭なかつたのである。
吉永テイは本件バー営業について従業員といつたものでは決してない。被告人と吉永テイの間に使用者、使用人といつた関係は全くなく、勿論給料といつたものもなく、吉永テイは共同出資による経営者の立場から、自己のとりまえとして、自由に利益配分をとつていたのが真相である。その故にこそ、自己所有の土地、家屋に対する賃料もとつていないのである。
エジンバラの営業許可は被告人名義となつておるが、これは開店にあたつて二人が相談し、女の名前では対外的信用の点でまずかろうということからしたものである。
ウインザーは吉永ツギエ、イングランドは吉永テイ、京子は古賀頼蔵、つぼみは村上章子、スコツトランドは村上章子で夫々営業許可がとられておる。
これは取締りの面からして、当時同一人が数店舗の営業許可を得ることが困難であつた事業に由来し、各店舗営業許可名義を別人とする東中州かいわいの慣行に従つたまでのことであつて、何も脱税のためではない。雇いマダムの名義で営業許可をとることは通常の事例として知られているところである。
なお被告人と吉永テイの各親類に配分したのは、二人の間柄、共同経営という関係からであつて、すべてを被告人が独占するということは吉永テイの反対が予想され実現不可能であつたのである。これはとりもなおさず、本件バーは二人の共同経営であるという証拠ともなる。
かくて右のような事業の開始、発展の経緯、経営の実体からいつて、本件四店舗のバー営業が被告人一人の単独事業ではなく、吉永テイとの共同経営にかかることはいうまでもないところであろう。従業員もまたその共同経営であることを信じて疑わなかつたことはその供述調書に明らかである。
それにもかかわらず、本件所得が被告人一人に帰属し、蓄積された財産も被告人のものであるとすることは、吉永テイの法律上の権利を無視するも甚しく、被告人との間柄からする吉永テイの立場から考えた場合人道上からも到底肯認できない議論である。
また形式的にとらわれた所得税法上の実質課税の原則に反した立論である。収税官史に私法上の権利関係の包括的修正権は与えられていないのである。
対外的法律行為にしても、被告人のみの名によつて行われたことは全くない。一番重要な事業拡張に伴う店舗開設のための土地、家屋購入は吉永テイもしくは同女との名によつて行われておることを忘れてはならない。
吉永テイ自身本件バー営業につき対外的にも自己の名において行為しておるのであつて、同人がした仕入、注文はすべてそうである。
本件各店舗は被告人及び吉永テイが総括するところであるが、営業許可名義を異にし、各店舗独立採算制で、取引銀行も、仕入も経費の支払も、利益の処理も、帳簿も、飲食税もすべて別個独立した形態で営まれておる。
従つて対外的法律関係も店舗名もしくは営業許可人名義でなされることもあるが、それが被告人のみの名において行われたものと断定する理由は全くなく、吉永テイおよび被告人両名の行為であることはいうまでもない。
仮に、本件バー営業につき、対外関係を被告人が処理したことがあるとしても、それは共同事業の業務執行者として吉永テイを代理したにすぎない。
以上述べたところによれば、所得税法上の実質課税の原則からしても、本件四店舗が被告人の個人営業であつて、その営業上の収益が被告人のみに帰属するとは到底認め難い。(広島高等栽の判例は本件と事案を異にする)。
そうだとすると本件所得を被告人一人の所得として課税することはできず、原判決認定のほ脱税額は誤つており、これが明らかにされない以上昭和三八年一二月一二日の最高栽の判例に従い被告人は無罪というの外ない。
二、旧所得税法六九条一項前段の所得税ほ脱罪の構成要件は、
A、納税義務者(納税義務を負う者であつて、所得税法一条ないし三条に規定される一定の資格である)。
B、ほ脱の犯意(納付すべき所得税を負担しているのにかかわらず、そのことを知りながら、Cの行為を弄して納付を否定しようとする意思である)。
C、ほ脱行為(同法六九条の詐欺その他の不正行為である)。
D、結果の発生(所得税を免かれるという実質的な事柄の発生)。
の四要件となる。
しかも、B、C、D、の間に因果関係を要するのであつて、過少申告の場合客観的に算定される所得額と申告にかかる不正税額の差額の全部につき常にほ脱税額として責任を負うものではなく、その差額のうち脱税額面としてB、Cが原因力となつている額だけが、ここでいうほ税犯としての結果の発生ということになる。
なお結果の発生があるというためには、その結果は常に具体的な免脱税額として算定されることを要する、(最高栽昭和三八、一二、一二、判決、最高栽判例解説刑事篇昭和三八年度二〇六頁)
なお罪刑法定主義のもと、刑罰法規は厳格に解釈されるべきことは当然でありますが、租税法規違反については特にその複雑な技術的政策的要素とその不明確性ということからして、刑罰法規の保障機能を発揮し法的安全性を貫くために、厳格解釈の原則を強調する必要が特に大きい。
ほ脱罪は故意犯であるからその成立にはつねに納税義務の認識、偽りその他不正の行為に該当する事実(ほ脱の実行行為)の認識、そのほ脱行為によるほ脱の結果の発生の予見が必要である。
納税義務の存在の認識がないのにほ脱の故意を認めることは、故意犯としての実体を具えていないものを故意犯として処罰するという意味において、責任主義にも罪刑法定主義にも反する。
行政目的のため責任原理を後退させることは往時の租税刑法で顕著であつたが、そうした考え方は今日の租税犯の性質と相容されないのみか、租税道義を強化、向上させるという目的を達成するためにも妥当ではなく、十分な反省を要すると考えられる。
かくて納税義務の存否自体についての錯誤も事実の錯誤と解すべきものであつて、ある収益を事実の錯誤によつて課税対象の範囲外に属するものとして処理したような場合は、たとえ全体として虚偽過少の申告をなしておつたとしてもこの分については、ほ脱の意思を認めることはできない。
この点については概括的故意が認められる以上、全体として、ほ脱の認識があれば、客観的なほ脱全額について故意を認めるべきであるという考え方もあろう。しかしこのような考え方は納税義務の存在を認識しないのに納税義務違反を本質的な構成要件的内容とするほ脱犯について故意を認めることになり正当ではない。
未必の故意の理論が認められるにしても、ほ脱犯はじめ租税犯の構成要件に属する事実の技術的性格を考慮するときは、その適用はとくに慎重、厳格に行われなければならない。
ほ脱犯の場合、所得の正確な把握が困難であるために、申告した所得額がことによると真実よりも少いかも知れないということは、むしろ申告に伴なう正常の事態であるともいえるのであり、そのような正常な事態がほ脱犯の故意としてとらえられることは責任主義の原則に反し、とうてい許されないところである。(団藤重光刑法綱要各論九九頁参照)
ところで被告人は四店舗の収益を合算して確定申告をしなければならない等全く知らなかつたのであつて、かかる納税義務者としての認識を欠いていたことは本件各証拠によつて明らかである。
被告人が各店舗別に確定申告をしたのは、飲食税の納入は、すべて営業許可を受けているものがしていたこと、また東中州では同一人で数店舗をかかえている場合でも、通常各店舗別に確定申告をするのが慣例であつたこと、警察の許可も一店舗一責任者ということであつたこと、更に本件四店舗は、被告人及び吉永テイ(いずれもその親類を含めて)二つの名義に区分されていた等の事情に由来するものである。
しかも被告人と吉永テイとの特殊な間柄、本件四店舗の開設経緯、経営の実体等につき先に述べた事情を併せ考えるときは、被告人が四店舗全所得の実質的帰属者として、合算して確定申告をなし、納税義務を負担するとの認識を有しなかつたことはいうまでもないところであろう。
被告人としては、四店舗各別に確定申告することが不正の行為であるとはいささかも認識していない。またその違法の認識を欠くについては先に述べた経緯からして過失がなく相当の理由があると認められる。
いわんや被告人にほ脱実行行為の認識、ほ脱の結果発生の予見がないことはいうまでもない。
かくて原判決が認定した事実中各店舗別に確定申告したことによる、ほ脱部分については、旧所得税法第六九条第一項前段のほ脱罪は成立せず、これとその他のほ脱部分が明確にされない以上昭和三八年一二月一二日最高栽判例に従い被告人は本件につき無罪というべきである。
少くとも被告人が吉永テイの所得であると確信した本件四店舗の収益の半分については、右の結論はいささかも動かないものと信ずる。
三、本件証拠として提出された昭和三八年度昭和三九年度各所得税額計算書によれば、公訴事実記載の犯則所得額は被告人が確定申告した所得金額を含めたものであることが明らかである。
しかしながら被告人が確定申告した所得金額について、被告人にほ脱の犯意がないことはいうまでもない。
収税官吏は右確定申告にかかる所得は、全体として虚偽過少の申告をしたことからして仮装のものと評価すべきであるから総所得から控除しないというが、罪刑法定主義を無視した不当な立論といわねばならない。
被告人がその所得について納税する意思をもつて確定申告したことは否定できない事実であつて、これについてほ脱の犯意があるとは全くもつて理解できないところである。
ほ脱犯において所得額ひいてはほ脱額の如何は他の犯罪における被害額などの場合と異なり、法定刑にも差異を生じ罰金刑の上限を決定する評準となる。しかもその罰金の額は刑法犯のそれとは比較にならない高額のものである。
なお租税犯は刑罰を科すだけの反倫理的罪悪性を有する行為であり、租税犯に対する刑罰はこのような行為をなしたことについての倫理的非難として科せられるものであるが、納税する意思をもつて確定申告した所得部分についてはこれを非難すべき理由は何も存しない。
前記立論は行政的合目的性の原理を優越させ、刑法的保障原則を無視する権威主義的思考の産物であつて、民主的法治国家の人権保障原則に反するものである。
かくて昭和三八年度、昭和三九年度とも被告人が確定申告した所得額部分は犯意なきものとしてほ脱罪は成立しないといわねばならない。
以上述べたところからすると、原判決には事実誤認、理由不備、審理不尽の違法が存し、法令の解釈、適用を誤つたもので、その違法は判決に影響を反すことが明らかであるというほかない。
第二、量刑不当
仮に以上が認められないとしても、本件につき先に述べた事情経緯に鑑みるときは、本件犯行の動機、態様は特に吉永テイとの関係を考慮するときはさして非難もできず、さほど悪質なものではない。
被告人は本件について、十分反省し将来にかかる不始末を起すことは全くないと誓つておる。
さらに被告人は一八八四万八〇二〇円の追加納税をしており、既に支払つた税金と併せれば所得の大半を失つたことになる。
これは被告人の営業に深刻な打撃をあたえるものであつて、将来長く被告人はその回復に苦しむこととなる。
被告人はその経歴が示すように決して生来反社会的性格をもつたものではなく、その環境、性格からして将来再び犯罪を犯すおそれは全くない。
家庭環境に複雑な点があるとしても、被告人はよく周囲の面倒をみ、社会奉仕にも勤め、真面目に今日まで暮して来ており、既に年齢四八歳、人生において最も大事な時期である。
ここにおいて、被告人を懲役八月及び罰金二〇〇万円に処することはその営業は勿論家庭生活に深刻な影響を及ぼすこと必定で誠に酷であり、量刑重きにすぎると信ずる。
さらに寛大なる判決を希求する次第であります。